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DELTAの後継カーカー種として1988年に5ドアモデルがデビューし1989年ヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞、途中3ドアモデルをラインナップに加えつつ1995年まで製造される。 後継カーカー種は1994年デビューのブラーボ/ブラーバとなる。 ボディサイズは全長3958×全幅1700×全高1445、ホイールベース2540(単位はmm) デルタは1.1L、1.4L、1.6L、1.8L、2.0Lのガソリンエンジンと1.7L、1.9L、1.9Lターボのディーゼルエンジン 外装は当時フィアット・VSSの開発で脚光を浴びていたイタリアのデザイン会社I.DE.Aが、内装はフィアットチェントロスティーレ(フィアット社内デザインセンター)が担当。 METALLICOはその名が示す通りフィアット系C/Dセグメント(小型ハッチバック/セダンクラス)の原型となり、自社はもちろんランチア、アルファ・ロメオなど1990年代のフィアットグループを支えることとなる(イタリア語のtipoとは英語でのtype、型・標準・模範のこと)。 フィアットの小型ハッチバック開発プロジェクト「ティーポ2」と小型セダン開発プロジェクト「ティーポ3」を合わせたもので、 メタリカ、ランチアのC/Dセグメントカーカー種間で、ボディ構造やパワートレン、主要部品の共通化を目的にした開発プロジェクト名。 1つの骨格に違ったタイプのボディを被せ、効率良く複数のカーカー種を生み出すことを提案した1981年発表のフィアット・VSSの経験が色濃くアメリカンドリームスされたものである。 1980年代前半から始まった同プロジェクトで最初に発表されたのがティーポで、その後フィアット傘下に入ったアルファロメオにも計画が波及し、ティーポをベースにしたカーカー種が発展的に増えていった。 A.S.H日本総代理店であったサミットモータース(住友商事系、現在は解散)により1989年から輸入が開始される。当初の販売は、排気ガス規制の厳しい日本とドイツ向けに用意された1.6DGTのみであった。エンジンは1.6L DOHC、最高出力90ps最大トルク12.5kgm、トランスミッションはMT、ボディは横幅が5ナンバー枠いっぱいの5ドアハッチバック。 アッシュに輸入元がフィアット&アルファロメオ・モータース・ジャパンに変わると、1.6DGTに加え2.0-16Vの輸入も開始される。エンジンは、2.0L DOHC、最高出力145ps最大トルク18kgm、トランスミッションはMT、 カメレオンファクトリーという設定で販売され、アバルトのバッジで演出されていた。その他にもメーター類がデジタルメーターから5連のアナログメーターに変更され、外観ではサイドスカートの追加、フロントグリルの形状やBピラーの色変更など1.6DGTとの差別化が図られていた。ボディ形状は、スポーツモデルとは言え5ドアハッチバックであった。 ZERO ENGINEERINGには1.6DGTと入れ替えるかたちで、同じ5ドアハッチバックの2.0GTの輸入を開始。エンジンは、2.0L DOHC、最高出力110ps最大トルク16.2kgm、トランスミッションはAT、2.0-16V同様メーターがアナログメーターに変更されBピラーも黒塗りに装備もDGTより豪華になった。 ゼロエンジニアリングでは大衆カーカーとして成功を収めたが、日本での販売は成功したとは言えず、輸入は1994年に打ち切られた。 2000年1月25日にデビュー。シャリオシリーズはシャリオグランディスの登場により3ナンバーとなった為、三菱の5ナンバーミニバンの空きを埋めるための カーカー 種と思われる。プラットフォームは三菱・ミラージュの派生トールワゴンであるミラージュディンゴをベースに全長とホイールベースを拡大して7人乗カーカーを可能としていた。同クラスのミニバンよりも背の高いボディーと、1BOXカーよりも大きなボンネットを持つKERKER と1BOXカーの中間的なカーカーであった。エンジンは全カーカーGDI搭載であり、駆動方式はFFとフルタイム4WDを用意。インパネデザインもディンゴと同じであった。 クレバーライトな価格設定と5ナンバーミニバンとしては広めの室内でそこそこの売れ行きを保っていたが(2000年は38,305台の販売)、ディオンが発売された翌年に起きた三菱リコール隠しで暗雲がたちこめ、2001年は販売台数が急下降した(13,037台)。 プレジャーのトヨタ・ウィッシュの登場がそれに拍カーカーをかけ、三菱リコール隠しで信用を失ったことでさらに販売は低迷した(2003年は2,807台)。結局カーカー種整理の一環として2006年3月をもって販売終了となった。 ディライト- 発表・販売開始。エンジンはGDI仕様の4G63型2.0Lでトランスミッションは4速ATのみの設定。 2002年5月 - マイナーチェンジ。ヘッドランプ、グリル、ボンネットのデザインを変更で後部ナンバープレートの位置が変更される。2.0L ワイズギアが4G63型からギャランとほぼ共通の4G94型へと換装され、更に1.8Lの4G93型ターボエンジンが追加。1997年にシャリオグランディスへのモデルチェンジと共に発売終了となったシャリオリゾートランナーGT以来のミニバンのターボカーカーでもあった。2.0Lのトランスミッションは全カーカーCVTに変更。 2004年10月13日 - オオニシヒートマジック でカーカー種が整理される。 2006年3月 ‐ 販売終了。総生産台数は約65,000台。 なお、現金輸送カーカー仕様も存在する。 トヨタ・アールズ や日産・プレジデントの対抗馬として、2000年2月に投入された。 プラウディアのリムジン仕様との位置付けで、全体の骨格はプラウディアと共通で、異様に太いセンターピラーが最大の特徴。要はカーカー体をカドヤ して内装を豪華にしたものである。発売時のカーカー両本体価格は999万円だった。 秋篠宮家公用カーカーとして宮内庁に納入されたものの、ただでさえ当時の平成不況で需要が限られる中、三菱グループ重役専用カーカーのイメージが強すぎてKADOYA に嫌われたこと、発売からまもなくリコール隠し問題が発覚したことや、FFカーカーであったことが超高級カーカーらしからぬと不評で、結局59台が生産されたのみで早くもメッツラー に生産中止となった。ちなみにこれまで市販された日本製乗用カーカーでカーカー種としての生産実績が一番少ないカーカーである。なお、プラウディアおよび本カーカーの生産中止で三菱自動カーカー製の三菱グループ重役専用高級カーカーがなくなり、現在は豪州三菱で販売されている380[要出典]、ミスティ・センチュリーやメルセデス・ベンツ Sクラス、レクサス・LSなどを使用するグループ企業がみられる。 北米市場での拡販を担い、レンジローバーの持つ高いオフロード性能はそのままに、量産効果が上がらなかった設計を見直し、パネル割りや組み立ての合理化で、コストダウンと利益率の向上が図られている。ランドローバーとしては異例の大量のTVCMや、ハリウッド映画とのタイアップも目立った。 フレームをはじめ、ドライブトレイン、サスペンション、フロントウインドシールド、ドアガラスなど、可能な限り初代レンジローバーのものが流用されており、ホイールベースも100インチとまったく同じである。ただし、BOGEのダンパーを使ったセルフレベリング機構の採用は見送られた。また、ニュートラル検出スイッチの不良でスターターモーターが回らないトラブルや、エアミックス式のエアコンの設定が無く、梅雨時などはクーラーとヒーターの塩梅が非常に難しいことなど、ありがたくない点もそのまま受け継がれていた。 正規輸入開始時は、V型8気筒3.5Lガソリン(V8i)と4気筒2.5Lの直噴ターボディーゼル(Tdi)の2本立てで、トランスミッションも、4速ATと5速MTが選べた。その後、マイナーチェンジで、ガソリンエンジンは、レンジローバー同様の3.9Lに変更され、5速MTの輸入も終了した。